十人十色
みんな生きづらさを感じることがあると思う。
私も幼少期から母親にはいつも叱られてばかりで
褒められた記憶があまりない。
絵を描くことが好きでそれを見せると褒めてくれたくらい。
幼少期は本当に泣き虫で、周りの友達にもよく揶揄われていた。
小学校に上がる年長さんの頃、私は算数なんてできるんだろうか…っと幼いながらに不安だらけだったのを今でも覚えている。
他人のちょっとした言動や行動にとても敏感だった。
最近急激に自分の中で気付かされたことが
多々あり、これまでの自分の人生の点と点が
繋がった感覚がある。
それは躁鬱だと診断され、そのことにも通づるものがある。
幼少期の泣き虫は、大人からは泣くなとか言われ、強くなりなさいと言われた記憶がある。
でもそれは大人になるにつれ、泣くことも少なくなる。これは強くなりなさいと言われてそうなったわけではない。
たぶん人間ならみんなではないが通過するものなんだと思う。
なぜ泣き虫でいてはいけないのか?
なぜ強くならなければいけないのか?
大人になればなるほど理不尽なことは当たり前にあるからそれを超えられるように言ったのかもしれない。
でも、自分で言うのもおかしいけど
それだけ感受性が豊かだということ。
日本は特に周りに合わせないといけないと
いう考え方が非常に強い。
でもタイトルのように十人十色。
みんなそれぞれ違って当たり前で、なぜ周りと足並みを揃える必要がある?
足並みを揃えないと、社会が崩壊する?
ある意味ではそのことを恐れている人々がいるんだろう。それはなぜか…?
書きたいことが多く全ては書ききれないけど
30代になり、こんなにハッと気付かされた。
世間はこうだから、こうやって生きなければいけない。それは誰が作った?
感受性が豊かな人は生きにくいだとか
そういうふうにネガティブな考え方を刷り込んだのは誰?
勝ち組、負け組。
それは何を基準に言っている?
世間一般にはいい大学をでて大企業に勤めれば勝ち組?幸せ?
人と比べるから勝ち組や負け組。
お金を持っている、持っていない。
持っても持っていなくても自分じゃない?
この作られた世界ではお金を持てば裕福な生活はできるけれど、お金は所詮紙切れ。
自分の心にどうしたいのか、直感を信じること。
自分の心にしっくりきたことを信じること。
うまく書けなかったけれど、
わかった途端、心がとても軽くなった。
もちろん社会にいれば重い暗いエネルギーに
支配されることばかり。
これは仕方がない。
どうしても無理ならば休めばいい。
またそしたら心が軽くなる。
自分の心に問いかけて。